(Taken with instagram)
1996年のこと、岡崎京子はひき逃げ事故に遭う。小沢は一報を聞くやいなや、病院の「家族以外面会謝絶」を家族だとウソをついて潜り抜けて、生死の境をさまよっていた彼女のもとに駆けつけた。理由はただひとつ「僕は彼女の王子様だから」。
「それより僕と踊りませんか?」
そのシャンパン一本で、子供達にチューチュージュースを二百本ぐらい買ってやれ。ヒルズの連中はシャンパン全部一人で飲み干して、キャビアは一人で食っちまう。でも子供達はチューチューの半分を友達にあげんだよ。そんで「うわぁー!」ってみんな遊び始めんのさ。それがホントなんだ。それがホントのセレブっていうんだよ。持ってない奴が隣にいたら可哀想だし、一緒に分かち合いたいし。
だからフィリックスのガムも、パピコも半分に割れるようになってんだ。あげられるように。一人で楽しむんじゃなく、友達を作るためなんだよ。十円のあんな小っちゃなものだけどさ。子供の気持ちを大事にするお菓子なんだ。ピュアな感覚で「やるよ、ユー」って。一人で食うのはファックなんだ。あのお菓子は、すげえ世の中に大切だよ。真木蔵人「BLACK BOOK」(コアマガジン)
私が中学生だったころ、誰か とつきあっている女の子は、ときどき自転車に乗らずに学校に来ていた。男の子の自転車の後ろに乗せてもらって帰るためだ。彼女たちは少しはずかしそうに、 でもどこか誇らしげに、幼い「彼氏」の肩に手をかけて河川敷を走っていった。ときどきどちらかが何か言い、ふたりで笑っていた。何を話しているのかな、と 私は思った。とってもうれしそうだ。私もいつかああいうことをするのかしら。
十九になったとき、仲の良かった男の子が川の近くに住んでいた。私は彼に訊いた。自転車もってる、あのね、自転車の後ろに乗せてほしいの、そ ういうのやってみたかったの。
彼は親切な男の子だったので、もちろんそうしてくれた。春の終わりの晴れた日の、風の弱いきれいな昼下がりに。でもそれはただの二人乗りだっ た。その日はただの春の日で、私たちがしたことはただのデートだった。
私はありがとうと言った。私はかなしかった。私はもうすぐ成人で、男の子の自転車の後ろに乗ることが特別であるような年齢ではなかった。その ことがよくわかってしまった。自転車の後ろに乗って河川敷を走るのは、十五歳までに済ませておくべきだった。その行為はその年齢においてのみ、恋のアイコ ンとして機能する。十九になってしまったら、もうそれを手に入れることはできない。
それから更に十数年が過ぎて、私のアイコンはさらに少なくなった。時間が過ぎてゆくごとに、いろいろなことが当たり前になってしまう。同じ行 為をなぞってみても、かつてそこにあったはずの特別さはきれいに失われている。
最初にアルバイトをしたときには、タイムカードさえ特別だった。それは自分が誰かの役に立つことができ、それによってお金を稼ぐことができる ことを示す、たのもしい記号だった。私は誇らしくそれを押した。がちゃんと音がしたことをよく覚えている。いい音だった。私はもうあんなふうに働くことは できない。
私はすべての特別さを消費してしまったのだろうか、と思う。すべてのあこがれを、すべての熱を、世界とじかにつながるための神聖な儀式を。
そんなはずはない。私はまだそんなに長く生きていない。私はこれから、三十二歳のうちにしておくべきこと、三十五歳までにしておくべきこと、 四十歳になったらするべきことを探さなくちゃいけない。そのときだけ特別に感じられることは、この先にもきっとあるはずなのだ。